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乗鞍高原の温泉はボウリング(地下から掘り出したもの)ではありません、自然と流出したものです。 現在も源泉は、湯の河原である湯河原に湧き出ています。(源泉までの道のりは厳しく、また硫化水素ガスが発生しますので危険です。入浴はできません) |
∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝ 発見 |
のりくら温泉の起源はいまだ謎です。 歴史書を紐解いてみると、昭和20年すでに湯の花採取で生計を立てていたとあります。またその頃には、乗鞍高原に引湯の要望が出ていましたので、それ以前のものと考えられます。 では、それ以前にはどうだったのでしょう? 乗鞍高原内では、あちらこちらから、石器が出土しております。原始時代、石器時代には人がこの山中に住んでいたようです。しかし、この人々は獲物とともにあちこちに移り住んでいたようです。その頃温泉に入ったのでしょうか??? 今から1200年前に、安房峠(現在国道158号線、長野県と岐阜県との境)を、道が通じていたと記された物が京都の下賀茂神社に保管されています。その頃???? それから、さかのぼり平安時代から落ち武者(?)たちが移り住んできたのではないかと思われますが、伝記や池尻の砦跡などから、今から400余年余り前の戦国時代武田信玄が、飛騨攻めのために山城(とりで)や鉱山などを造りここで人々が生活していたようです。その頃から??? また、乗鞍岳は霊所でしたので、行者が山の中を歩き回っていました。その頃発見された可能性が強いと(個人的に)思います。???? |
∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝ 湯の花利用 |
昭和9年ごろには湯川源泉での湯の花採りが盛ん行われていたようです。この地区の収益の27パーセントを締めていたと記述があります。この温泉の湯の花は、昔から硫黄沈殿物を主体とするものでした。効能も高く春夏の年2回採取にいっていたようです。 温泉を桶に通したり、池に溜めたりして湯の花を沈殿させ採取していました。溜まった湯の花をせいろにとり、水を切り団子にして湯の花の乾燥棚に乗せ、2ヶ月ほど乾燥させて背負い下ろすのです。(採取の方法は今とあまり変わらないようです) 湯の花は、今とあまり変わらずお土産や、家庭のお風呂に入れて使っていたようです。 |
∝∝∝∝∝∝∝∝∝∝ 引湯 |
昭和20年ごろから引湯の話はありましたが、源泉から7Km以上、高低差550m弱という地形的問題、豪雪地という工事上の問題等有なかなか進みませんでした。 乗鞍高原内に引かれたのは、それから30年後の昭和51年にやっと乗鞍高原上部鈴蘭地区に、53年に下部番所地区周辺に引湯されました。長い年月がかかりましたが、そのおかげで7Km離れていても、その間の温泉の温度が1度しか下がらない工事をやり遂げました。 引湯当時 湯川源泉 湧出量 (集湯場) 毎分1,500リットル 50度 鈴蘭地区集湯場 49度 引湯距離 7,656m 高低差 544m |