白法眼様
 むかし 乗鞍岳は霊験新たかな霊所で、行者の修行場でもありました。乗鞍岳山麓の大野川には、一人の子供がおったそうな。

 その子は、村祭の日に火渡りの術や、浮身の術などを見せる修験道に魅せられその道に入り、苦しい修行をしていました。その後すぐ、奈川村(安曇村の南隣の村)寄合渡(よりあいど)に養子に入りましたが、そこでもを修業を続けていました。

 大人になり白法眼として、乗鞍高原御池の前に拝殿を創りました。
 白法眼は、二尺八寸ほどもある大刀を持っていました。この刀は曲者で、さやから抜くと人の血を見ないと鞘に収まらないという代物でした。
 白法眼は、しっかりと鞘に収め麻紐で固く結んでおりました。

 ある日、境峠(乗鞍高原と奈川村の境)越えをしたときのこと。どうしたことか途中、刀を置き忘れてしまいました。慌ててとってかえし、その場所に戻ってみましたが、どこにもないのです。
 不思議に思ってあたりの草むらを探すと、刀は大蛇に変身していました。
 白法眼のこと、妖術を使い大蛇を大刀に戻し持ち帰ったのでしょう。

 その刀は今でも白法眼の子孫の家に現存しています。
 永々と封印してありましたが、戦後銃砲刀剣類の登録制度ができた折、禁止を破り鞘から抜いてみたそうです。が、何事もなかったそうです。

御池の龍神様
 むかし、御池(現大野川小中学校前)の周辺は樹木がうっそうとして、神々しい感じがしていた。御池の中には1つの小島があり、弁財天女と乗鞍権現様を祭ってあった。
 干ばつの時にもなみなみと水をたたえていたので、村人はもとより、松本(市)遠くは諏訪よりも お水をもらいに来ていた。桶ひとつもらうと、後で桶ふたつ返しに来ていたそうだ。

 御池には、龍神様がすんでいた。
 ある時、年をとった大熊が御池に迷い込み、そこで息絶えてしまった。龍神様はこの穢れをたいそうお怒りになった。
 すると、天がにわかに暗くなり、池の周りから紫雲が湧き上がり、あれよあれよという間に乗鞍岳の権現池に行ってしまった。
龍神様はもっと怖かったかしら
 また、御池に住む龍神は、頭を乗鞍の権現池に、胴体は御池、尾尻は諏訪湖につながっているといわれるほど、大きなものであった。

 いまだに、御池に石を投げ入れたり棒で池をかき回すと大嵐になるといわれている。

千間淵
 むかし、人々は豊富な森林資源を生活の糧としていた。大野川(乗鞍高原)は、山の中であるがため、道路が悪かった。仕方なく薪を運び出すには渓谷を使い流しだすしかなかった。

 ある年のこと、千間もの薪をいつものように谷川に流した。ところが途中で全て行方不明になり、何日探しても1本も見つからなかった。

 それから数日後杣人(山職人)が、千間淵(番所大滝の上)に用事で出かけたところ、薪千間が全て浮いていた。
 村人は、神様が薪流しを見捨ててしまったと思い、怒りを静める為に祭壇を創り供え物をして祭った。
 このとき肴を盛る皿がなく木の葉を皿代わりにしたところ、不思議なことに淵から皿が数限りなく浮きあがってきた。村人は、喜んでその皿を使わせてもらった。

 その後、器具の必要なときは淵の神に頼み借りていた。
 ある村人が、その話を聞き、借りに来たものの、そのまま持ち帰ってしまった。
 淵の神は怒って、その後いくら頼んでも器具を貸してはくれなかった。

子持桜
 後奈良天皇の天文年間。美濃国稲葉山の城主・斎藤秀龍(斎藤道山)は、織田信秀(信長の父)に攻められて戦いに敗れそうになったので、自分の娘を信秀に嫁がせ和を講じようとした。

 娘は大変驚き、逃げ出し飛騨から大野川へと落ちてきた。一夜野宿した時、桜の花が懐に入った夢をみた。翌朝、急に故郷のことが思い出され心配になり、白骨のお湯で疲れを癒して、美濃の国に帰った。しばらくして男の子が生まれたので、義龍と名付けた。

 むかし、檜峠(乗鞍高原から沢渡に抜ける峠)から白骨に行く途中に一本の桜の木があり、これが娘の懐に入った桜だといわれ続けていた。

  その後、義龍は道山を滅ぼしたとされているが、理屈に合わない。戦国時代の話が、古道を通じて入ってくる間に、歪められたのであろう。 



 RETURN